フェリーナブログ

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『もののけ姫』のアシタカの心は不条理に対する怒りで震えていた!?

もののけ姫は、様々なテーマが複雑に絡み合っていて、なかなか一言でどういう映画か言い表すのが難しい映画ですよね。

事実、宮崎駿監督も『もののけ姫』という映画の“狙い”について、以下のように語っています。

「世界全体の問題を解決しようというのではない。荒ぶる神々と人間との戦いにハッピーエンドはあり得ないからだ。しかし、憎悪と殺戮の最中にあっても、生きるに値することはある。素晴らしい出会いや美しいものは存在し得る」

もののけ姫には色んなメッセージが含まれていますが、これらの事を踏まえた上で、今回はアシタカの心にピックアップして記事を書いていきたいと思います。        

 

もものけ姫のストーリー展開

呪いをかけられたアシタカは自分の髷を切り落とします。アシタカの村の男達はみんな頭に髷を結っていますが、これを切ります。この「髷を落とす」ということは、「一族でなくなる」=「二度と帰れない」という意味なんです。村を出なければいけなくなったアシタカに対し、なぜ、彼がそうしなければならないのかを、ヒイ様が説明します。

ヒイ様は「西の国で何か不吉なことが起こっている。その地に赴き、曇りのない眼で物事を見定めるなら、あるいはその呪いを断つ道が見つかるかもしれぬ」と言います。この言葉を聞いたことで、アシタカは西に行こうと決意します。同時に、僕ら観客も、なんとなくそれで納得させられるというか、騙されてしまうんですね。 

 

そもそもなぜ、アシタカは村を去らなければいけないのか?

なんでヒイ様は西に行かせようとしているのか?いや「呪いを解く方法が見つかるかもしれぬ」って言ってるんですけど、それって何の根拠があって言ってるの?そんなふうに思うんです。アシタカは呪いを受けて、右腕にアザが出来てしまいます。この毒が行く行くは骨にまで達して、彼は死んでしまう。この死から逃れるために、西に旅をする。

もののけ姫の大筋のストーリー展開については、多くの人はこのように考えていると思います。これが『もののけ姫』のストーリー展開だというふうに、今の今まで、僕らは思わされていますが、だけど、それだけなら、そもそも追放する必要なんてないんです。

なぜなら「タタリ神が死んだ場所には塚を築いてちゃんとお祀りします」って言っていますから。いやいや、そんなことはない。あの怪物は死ぬ時に「死んだ後も呪ってやる!」と言ったじゃないか、と思うかもしれませんが、この映画の中には、犬の神様とか、イノシシの神様とか、いろんな神様が出てきますが、死んだ後で祟った神様は誰1人としていないんです。

この映画の中に出てくる神様というのは、たしかにすごい巨大な力を持っていて、身体も大きいんですけど、それだけなんですね。テレパシーみたいな超常現象みたいなものは一切使えない。まあ、唯一、シシ神だけが、ちょっと不思議な力を持ってるんですけど、他の神々は、そんなものを持っている描写がないんですよね。もちろん「死んだ神々が、死後も続く呪いを残す」なんて描写も1つもありません。乙事主もモロも、この映画の中で死にますけど、死んだらそれっきりです。つまり、死後の呪いなんていうものは、この物語の世界にはないんです。


じゃあ、なぜアシタカは追放されたのか?

それはもう「ヒイ様が追放したいから」なんですよ。なぜ、アシタカに呪いに関する話をする時のヒイ様が、ポーカーフェイスで語っているのかというと「演技しているから」なんです。村人もアシタカも気がついてないんですけど、ヒイ様の心の中にだけ、ちゃんと理由があるんです。

それは何かというと、アシタカの呪いの正体というのは「死ぬこと」ではなく、「アシタカ自身がタタリ神になること」なんですよ。アシタカは、これからゆっくりタタリ神になっていくんですね。ついさっき村を襲った怪物と同じように、自分の痛みや苦しみに段々と耐え難くなり、自分の運命を呪うようになる。たぶん、襲ってきたイノシシ神も、最初はそれを理性で抑えていたんですけど、徐々に徐々に、タタリ神になってしまった。それと同じように、アシタカは次のタタリ神になる運命を受けてしまったんですね。


アシタカの心の中には己に降りかかってきた不条理に対しての絶望や怒りというのがある

アシタカという男は、表面上は無表情で、すごくジェントルに描いてあります。そして、こういった「礼儀正しい態度とは裏腹に、彼の中には深い絶望や怒りがある」ということは、あえて今回は描かないと、宮崎駿は言ってるんです。なので、アシタカの内面は台詞になって表れません。だから、ただぼんやりと観ているとアシタカの心の葛藤には気付くことはできませんが、アシタカの心の中には「最後にはやっぱりタタリ神になってしまうのか?それとも、人間のまま生きて行けるのか?」という葛藤が常にあり、突然己に降りかかってきた不条理に対する怒りに震えているのです。